水晶時計の基礎を作った三宅康友教授

 学生時代、駿河台の理工学部の校舎の地下に入っていた時計屋さんが「最近の時計は狂わなくなったが、正確な時を刻む水晶時計の基礎を作ったのは日大の三宅康友教授だ」と誇らしげに話されていたことを覚えています。今から40年以上前のことです。

この話を裏付ける様な内容が、「電子工学科のルーツを求めて」という学術講演会予稿集に掲載されていました。
https://www.cst.nihon-u.ac.jp/research/gakujutu/62/pdf/M-10.pdf

この予稿集で紹介されている三宅教授の恩師にあたる高木昇教授は、東大を卒業されて東工大から日大の工学部(現在の理工学部)に移籍されたのですが、その時の日大生について、他の文献でこんな感想を述べられています。

「日大の学生は、東大の学生とは違った特徴を持っていた。特に弱電志望者の殆どがアマチュア無線の経験者で、これに凝りすぎて官学に入れなかったようである。従って無線送受信機の実際的な知識では、その頃の私は、足元にも及ばなかった」

私も、日大の理工学部に入った時に同じことを感じました。まさに我が意を得たりでした。日大は、技術や機械いじりが好きで、専門分野に秀でた尖った学生を当時から受け入れていたのだと思います。

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