▶尊富士優勝ヒーローインタビュー(2024年3月24日)
日本大学出身の尊富士関が歴史に残る優勝を成し遂げました。ケガをしてもへこたれない精神力の強さ、ご両親、親方、先輩への感謝の気持ち、応援してくれた青森や全国のファンへの思いやりがよく出ている素晴らしいインタビューだと思います。心技体が揃った久しぶりに出た立派な力士だと思います。日大の同窓生の誇りです。これからリベンジをしていく日本大学の将来の姿を見たような気がします。これからも、日本大学、尊富士関、同窓生を応援していきたいと思います。(廣瀬)
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▶尊富士優勝ヒーローインタビュー(2024年3月24日 ABEMA/大相撲チャンネル)
― 大変な偉業を成し遂げた新入幕の尊富士関です。おめでとうございます。
ありがとうございます。(館内大歓声)
― この大歓声。どんなふうに聞きましたか?
本当に、千秋楽、土俵に上がれてよかったなと安心しています。(館内拍手)
― 昨日の取組後、私たちも驚き、心配しました。そこから1日、どんな気持ちで、どんな決意で土俵に上がりましたか?
そうですね・・・本当に体的にキツかったです。でも最初の頃から、15日間しっかり土俵に上がって絶対に相撲を取りきることが力士としての努めだと思っていました。自分自身でも優勝を勝ち取りたかったので、土俵にしっかり上がることができてホッとしています。(館内拍手)
― その強い決意を持っての土俵。勝てば優勝でした。これまでの14日間と気持ちの変化はありませんでしたか?
やっぱりもう・・・このケガだったら大した相撲も取れないんじゃないかと思っている人もいたかもしれないですけど、ここで自分に負けたら、皆さんが15日間大阪場所に足を運んできた意味はないと思ったので、その辺はしっかり自分で考えて上がりました。(館内拍手)
― 立ち合いからの出足でここまで素晴らしい相撲を続けてきた尊富士関。きょうは組み止める相撲に見えました。どんなことを考えて取組に望みましたか?
自分自身も信じて土俵に上がりましたし、何より師匠の伊勢ヶ濱親方が解説だったので、しっかりいい相撲を見せないといけないと思って土俵に上がりました。(館内爆笑)
― 放送の中でも、師匠褒めていましたよ。
ありがとうございます。(満面の笑顔)
― 初めての幕内での15日間。初日からの11連勝、そして入門してから10場所での幕の内最高優勝。改めてどのように感じていますか?
記録も大事ですけど、皆さんの記憶に一つでも残りたくて、必死で頑張りました。(館内拍手)
― 記憶も記録も残るこの活躍。初めての幕内の雰囲気はどうでしたか?
ものすごい雰囲気でしたが、何より部屋には稽古を付けていただいている横綱がいますので、怖がらずに土俵に上がれました。
― 先場所は優勝した横綱・照ノ富士関のパレードの旗手に指名されました。「もう一度自分でそういう景色を見たい」ということを実現しました。翌場所につなげましたね。
まさか、やれると思ってなかったのですけど、1日1日、本当に濃い15日間でした。
― 故郷への思いは、どんなものがありますか?
昨日、ケガをしてたくさんの人から連絡をもらった時に、不安なのは自分じゃなくて、皆さんの方だと思ったので、勝っても負けても、自分を信じて土俵に上がりました。
― 支えてくれた家族や関係者。お母さんにいい報告になりますね。どんな感謝の気持ちをお持ちですか?
そうですね・・・僕もそんなに体は大きくないですけど、おかげさまで、こうやってしっかり幕内の土俵で勝てるように育ててくれて、感謝しきれないです。
― まだ新入幕10場所目。大銀杏も結えない力士人生始まったばかりです。これからどんな相撲を見せていきたいですか?
それはもう、ファンの応援にこたえられるような相撲を取りたい。それだけです。
尊富士 弥輝也(たけるふじ みきや、1999年4月9日 - )は、青森県北津軽郡金木町(現・五所川原市)出身で、伊勢ヶ濱部屋所属の現役大相撲力士。本名は石岡 弥輝也(いしおか みきや)。身長184.0cm、体重143.0kg。日本大学法学部政治経済学科卒業。(Wikipediaより)
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▶尊富士「横綱に初めて恩返しできた」「一番の親孝行」 110年ぶり新入幕Vから一夜明け会見 一問一答(2024年 3月25日 産経新聞)
--何時くらいに寝たか?
「何時だろう? 5時ぐらいじゃないですかね」
--だいぶ疲れが出た?
「数時間しか寝てないけど、場所中より寝れたなと思いますね。体は痛いですけど」
--優勝の実感は?
「いろんな人から連絡が来るたびに、本当に優勝したんだな、と」
--大変なことをやった実感は?
「ないですね、逆に」
--どんな15日間だったか?
「場所前に(右脇腹を痛める)アクシデントがあって、その中で幕内は初めての場所だったし、どうやって自分の相撲を取ろうか。その時から『気持ちで負けない』と。勝ち越して2桁いきたい気持ちがあったんで。だんだん痛みに体が慣れてきて、良い流れに持って来られたんじゃないか」
--脇腹は痛かった?
「ずっと痛かった。最後まで」
--診断は?
「肉離れです」
--優勝を意識したのはどれくらいだったか?
「14日目くらいじゃないですか」
--あの相撲は少しは意識があった?
「むちゃくちゃ意識しましたね」
--それまでと違う感じだった?
「それまで考えなかったけど、急に考えるようになっちゃって。その中で全然、体も動かなかったですし。体がおかしかったですね」
--(14日目に)足はどういう状況で痛めたか?
「相撲を取っている最中。土俵の中で」
--診断は?
「靭帯損傷です」
--翌日までの心の動きは?
「最初、人の肩を使わないと歩けなくて、相撲どころじゃないというか。今後の相撲人生に影響してくるかなと思って。これで土俵に立ったら、ファンのみなさんとか、多くの人に『絶対勝てないだろう』と(思われていたと思う)。自分も最初は無理だと思ったけど、部屋の横綱(照ノ富士)が自分のところに来てくれて、いろんな話を聞いてくれて、『お前ならやれる』って言ってくれたんです。『記録はいいから、お前は記憶に残せ。勝ち負けじゃない。しようがない、負けてもいいから最後まで出ることがいいんだよ。このチャンスはもう戻ってこない。俺もそういう経験がある』と」
「横綱に言われた瞬間に、自分で少し歩けるようになったっす。怖いくらいに、汗かいちゃって。『立て』って言われて、少し歩けるようになった。親方のところに自分の足で無理やり歩いていって、『明日、頑張ります』『出させてください』と言った。不思議です。自分でも怖かったです」
--当日、痛み止めを打った?
「当日も歩けない、痛いのには変わりない。土俵で恥ずかしい姿を見せてもおかしくない状況。でも気持ちで絶対負けたくなかったですし、ここまでやってきたことの意味がなくなる。出た方が今後の相撲人生に関わってくると思ったので、気合で出ました」
「気持ちで負けたら、見ている人も残念がると思ったし、何より(テレビ中継の)解説が師匠だったんで、変な相撲取ったら、自分から出ますと言ったのに、自分に嘘をついているようになっちゃうので。負けてもいいからと思って。相撲(の内容)はあんまり覚えていない」
--安易に変化で勝とうとは?
「正直、(その考えは)ありましたよ。とにかく勝てばいいという気持ちも少しはあるわけじゃないですか。自分の手でどうしても優勝をつかみたかったし、自分の手で賜杯をつかみたかったんで。自分から自分から動こうと思って」
--心の強さは、いつ頃から?
「僕も人間なんで、甘える部分もたくさんありますし、正直、相撲は好きじゃないですし。応援してくれる人のために大けがしても相撲を続けられるんで。それが僕の幸せであるし。伊勢ケ浜部屋に入ってから、常日頃から兄弟子たちに『お前は伊勢ケ浜部屋だぞ』と、暗示をかけられて根性だけで何とかやってきたって感じ」
--三賞を全部取った
「まさかここまで取るとは夢のまた夢だったし、15日間やってよかったなと。本当にそれだけです」
--お母さんも会場で見ていた?
「来ると分かっていなくて。誰が来るとか分からなくて。自分に集中。やるのは自分。誰の助けもいらないと思ってたんで。優勝してからも来ているのが分からないくらい必死で。(会えたときは)相撲と離れて安心感がありました。いろんな人から『優勝したらどうする?』『万歳どうする?』って言われていたけど、『相撲に集中させてください』って。未来なんか分からないし、必死に今、自分ができることをやろうと。結果は後だろう、と思ってやってました」
--お母さんからはどんな言葉が?
「『よくやった』って。いろんな思いを感じましたね、その『よくやった』に対して」
--最高の親孝行
「大相撲に入って、一番の親孝行ができたかなと思ってます」
--これからどういうことを支えに?
「伊勢ケ浜部屋みんなで勝ち取った優勝だと思っていますし、一番嬉しかったのは、横綱に言われた『俺の9回の優勝より、お前の今日の優勝を勝ち取った相撲の方がうれしかったよ』。本当にうれしそうで、僕も少しでも恩返しできたなと初めて思いました」






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